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タイトル
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方光寺
松本日光方光寺は西暦730(天平2)年に建立されたとされる、長野県内で最も古い歴史をもつお寺の一つです。厄除け縁日には毎年多くの人が訪れ、テレビコマーシャルが放映されていたりもします。 あまり大きなお寺ではありませんが、落ち着いた雰囲気が非常に趣深い場所です。私が参拝したときは他に人もおらず、静かにお参りできました。穏やかにお寺をお参りしたい方はぜひ行ってみていただきたいです。 参考:松本日光方光寺公式 http://houkouji.com/ 画像引用:「歩いてみたブログ」https://iwalkedblog.com/?p=69852 画像アドレス:https://iwalkedblog.com/wp-content/uploads/2021/04/hokoji-matsumoto-7.jpg
2021-05-06
2
真っ赤な本殿・生島足島神社
生島大神と足島大神を祀る神社。周りを池に囲まれた真っ赤な本殿が特徴的。有名どころとあり、参拝客も多かった。
2021-05-06
3
駿府城
これは静岡市にある駿府城の写真である。別名が静岡城や府中城。築城主は徳川家康であり、石垣やお濠などが存在する。いくつか再建造物があるがとても歴史があるものである。上田には上田城があるため相違点や類似点などを見る懈怠と思う。
2021-05-05
4
歴史を感じる誉田別神社
調べても詳しい情報がなかなか出てこない、謎深い神社。名前から推測すると、全国に3万から4万あるといわれている八幡様を祀る八幡系神社の一つと思われる。交通量の多い大通りの脇にポツンとたたずみ、そこだけ時が止まっているかのような厳かな空気を醸し出している。
2021-05-05
5
住宅街に佇む・加美畑神社
上田原の戦いの際、武田信玄が先勝祈願したとされている神社。住宅街の中にひっそりと構えられている鳥居をくぐって進むと、そこには歴史を感じる本殿が存在感を放っている。
2021-05-05
6
上田原合戦の中心地・石久摩神社
武田信玄と村上義清が武力衝突した上田原合戦(1548)の中心地。境内にはその歴史を伝える上田原古戦場の碑が置かれている。現在の静かな住宅街の様子からは、そのような戦いがあったということはとても想像できない。
2021-05-05
7
柳町
北国街道沿いの家並みが残る通り。現在では信州上田の魅力的な名物・銘品を扱う店舗が並ぶ、江戸時代の面影を残した上田城下の商い処。昔ながらの街並みがとてもいい雰囲気を醸し出している。写真ではなかなか伝わらないので実際に行ってみることがおすすめ。
2021-05-05
8
やまへい
やまへいは小諸市にある美味しい蕎麦を頂くことができるお店で、連日賑わいをみせている。また敷地の外には日本庭園を楽しむことができ、観光目的としても利用されている。個人的な感想として、建物が前の時代などにありそうな造りをしていてお店に入る前に見入ってしまうほどでした。昔の雰囲気を味わう事が出来ると思います!
2021-05-05
9
小諸城大手門
小諸城は城が城下町より下にある日本唯一ともいわれる穴城で、大手門はその入り口の城門である。平成の大修理を終え、以前の姿に甦った。この大手門は重要文化財に指定されており、東日本を代表する大手門建築の一つである。歴史と照らし合わせながら見ていくと、その時代にいるような気持ちにさせてくれるという印象でした。
2021-05-05
10
懐古園
小諸市といえば、懐古園。と言うほど小諸市の有名な場所の一つである懐古園。小諸城跡にある公園で、懐古園の中には島崎藤村記念館や児童遊園地などもある。今回訪れた際も観光客が多数おり、小諸市を体感できる場所であると身をもって感じた。行ったことない方は是非1度足を運んでみて欲しいと思う。
2021-05-05
11
小野川温泉
1200年に小野小町が開湯したといわれ歴史のある米沢の奥座敷。豊かな自然、清らかな川の水が残るほたるの生息地です。旅館、露天風呂、茶屋、足湯など昔ながらの落ち着く雰囲気や源泉のお湯を楽しめます。地元の人はよく入りにいっています。
2021-05-05
12
相生町商店街
小諸駅から登っていくと真っ先にあるのがこの相生町商店街。現在では閉まっているお店も増えてきてしまったが、現代の風潮に合わせた街づくりを展開していけば全盛期以上の盛り上がりを見せるのではと感じた。そう感じるのも、その周りには真新しい施設が幾つか出来ており、観光客が訪れるきっかけになっていると思うからだ。私自身も街の活性化の手伝いを何か出来たらいいなと感じている。
2021-05-05
13
北国街道
北国街道とは野尻から追分まで続く江戸幕府によって整備された脇街道で日本の街道の1つです。小諸市のある場所から撮ったが、ここを見ていると現代とはまた違うレトロな印象を与え、残存し続けているのが面白い。
2021-05-05
14
安楽寺
安楽寺では、ご本尊に釈迦牟尼仏。 両脇に文殊と普賢の菩薩をまつっている。 本堂に突き当たって左の階段から国宝八角三重塔へ向かうことができる。 参道沿いには重要文化財や記念碑が並ぶ。 安楽寺は禅宗としては、鎌倉の建長寺と並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つです。 1588年頃、高山順京が曹洞宗に改めました。 高い山の上でひっそりとたたずむ安楽寺には神秘感が漂います。 かやぶき屋根で厳かな雰囲気の安楽寺に心が浄化されます。
2021-05-05
15
七苦難地蔵尊堂
別所温泉駅から北向観音境内に向かう道の途中にある立派な地蔵尊堂。 北向観音の別当である安楽寺の地蔵尊をこの場所に設置し七苦難地蔵尊として祀ってある。 地蔵尊堂でこれほど立派なものは見た事がなく驚いた。 地蔵尊堂にはたくさんの名札が貼られていた。 お供え物もしてあり、別所温泉の地域の人々に大切に、愛されていることがわかる。
2021-05-05
16
温泉薬師瑠璃殿
別所温泉北向観音境内にある温泉薬師琉璃殿。 この温泉薬師は伝説には行儀菩薩の創建、慈覚大使の再建と言われているが、以前の一は今の「大師湯」の西隣にあったそう。 1741年湯川の氾濫によって薬師堂は流され1743年から再建を湯本講中で計画したとのこと。 現在も残る建物は1809年に湯川講中の積立金により再建された。 崖に建てられた薬師堂であるがその安定感に驚く。 建設の方法に昔の人の知恵が絞られているのではと思う。
2021-05-05
17
夫婦杉
北向観音堂境内にある夫婦杉。 杉本から2本に分かれた杉の大木が並んで立っています。 上田市別所温泉のパワースポット…? 杉の木の下に来ると、大きく高い杉の姿に圧倒されます。 この夫婦杉が、北向観音のそばで、信州の歴史を見つめてきたのではないかと思います。
2021-05-05
18
丸子顕彰碑
丸子町の工業100年を記念した碑。この碑は、1990(平成2)年に丸子町の工業が100年になったのを契機に、丸子文化会館の向かい側に丸子工業百年記念公園が造営された際に建てられた。顕彰碑やその周りには、丸子の工業の発展に尽くした幾人の偉人の碑やその紹介文があり、丸子の工業史を知ることが出来るスポットの1つとなっている。
2021-05-05
19
上田蚕種-2
上田蚕種協業組合事務棟の説明文。建物の特徴について説明されている。上田蚕種株式会社は時代の進行に伴って蚕糸の中心地から軍需工場、そして戦後の名称変更等、様々な役割を担っていた。このような建物の存在は、主に20世紀における上田の様相の変化を知るうえで重要であると考える。
2021-05-05
20
上田蚕種-1
上田蚕種協業組合事務棟の写真。この建物は、1916(大正5)年に上田蚕種株式会社として建てられた。上田蚕種株式会社は、上田蚕糸専門学校(現・信州大学繊維学部)や小県蚕業学校(現・上田東高校)を抱える上田市常田に設立され、上田蚕糸の中心地として機能した。戦後に協同組合及び協業組合として一時名称が変更されたが、2003(平成15)年に再び株式会社の名が復活した。協業組合時代に建物が国の登録有形文化財に指定されたため、この名になっている。
2021-05-05
21
日暮れの真田神社
時間帯 17時 天候 晴れ 真田神社の絵馬を吊るしている通りは上田城跡公園の写真スポットのひとつでもあり、今どきの若い人たちには撮ってみたい写真の一枚ではないだろうか。 日が出ている時間帯は特に写真を撮るのが好きな人は訪れてほしい場所の一つである。
2021-05-05
22
深志神社
松本駅から徒歩15分ほどの場所に鎮座される深志神社は、1339(暦応2)年に創建された歴史と由緒のある神社です。 建御名方富命(お諏訪さま)と菅原道真公(天神さま)をお祀りしている深志神社には初詣や学問の合格祈願などに多くの人々が訪れます。私も高校受験の前に合格祈願に参拝し、合格後はお礼参りにも足を運ばせていただきました。 鮮やかな朱に塗られた神楽殿,拝殿が印象的で、見る人々を惹きつけます。 参考及び画像引用:深志神社公式 https://www.fukashi-tenjin.or.jp/ 画像アドレス:https://www.fukashi-tenjin.or.jp/wp-content/uploads/2020/09/DSC07874-scaled-e1599961091406.jpg
2021-05-05
23
四柱神社
松本市中心部に鎮座される四柱神社は、明治十二年に明治天皇の思し召しのもと創建された、比較的歴史の浅い神社です。 主神の天之御中主神はたいへん神位の高い神様でおられるため、「願い事むすびの社」として全国各地から参拝者が訪れます。 松本駅から松本城へ向かう道の途中にあるので、たいへん立ち寄りやすいかと思われます。鳩が集まる場所でもあり、エサもあげられるので少しのんびりした空気を楽しみたい方も足をお運びになってもいいかもしれません。 参考:四柱神社公式:https://www.go.tvm.ne.jp/~yohasira/ 画像引用:「日本の結婚式」https://nihon-kekkon.com/wakon/yohasira/ 画像アドレス:https://nihon-kekkon.com/common/img/uploads/2018/11/cea6b5f8a4e14a19bc2efdbaa932cd4014948c05-2.jpg
2021-05-05
24
養老の滝
岐阜県養老町にある養老の滝です。 この滝には、親孝行の息子が滝の水を汲むとその水がお酒に変化し、そのお酒を飲んだ父親の病が治ったという親孝行伝説のある滝です。 駐車場から30分程度山道を歩かなければならなく、大変ですが、とても素晴らしい景色です。
2021-05-05
25
愛宕神社(仁古田)
川西の仁古田地区の愛宕山中腹に建立されています。火伏の神が奉られているとされています。見晴らし台も設置されていたりと、周りの景色を楽しみたい方にはオススメです。パワースポットとも呼ばれていることがあるという噂なので、ハイキングを兼ねていかがでしょうか。私も登りましたがとても良い運動になると思います。
2021-05-05
26
塩野神社(保野)
市内にある塩野神社と名がつく2つの神社のうちの1つである。黄色く塗られた鳥居も特徴的である。この宮を中心に行われる祇園祭が市の無形文化財にしてされている。加えて廻り舞台も文化財にしてされている。毎年夏に祇園祭が執り行われるので、機会があれば参加してみたいとも思う。
2021-05-05
27
池生神社
小島大池のすぐ脇に建立されている神社。拝殿は新しく立て替えられている。池の周りに奉られている神社はみる機会が少ないので、参拝するには良い機会だと思う。
2021-05-05
28
五加八幡神社石灯籠
これほどの大きな石灯籠はなかなか見ることは出来ない。灯篭の正面には勝海舟の筆とされる「修善生洪福」という文字が刻まれている。近くに八幡大神縣社もあるのでぜひ行かれてみてはいかがでしょうか。
2021-05-05
29
八幡大神縣社
源義仲とも縁のある社。社は周辺を住宅街で囲まれているが、それを感じさせないほど落ち着いた雰囲気が作られいる。他にもいつもの小さな社があるので、立ち寄るには良い場所だと言える。
2021-05-05
30
龍翔館
地元の歴史にまつわる者が多く飾られている。有名な船も入り口に飾られている。
2021-05-05
31
須坂市立博物館
臥竜公園内にある。 館内は3つのブースに分かれており、須坂藩関係の資料、東日本最大級の積石塚古墳である八丁塚古墳の出土品などの古墳の出土品、製糸業の資料が展示してある。 大きな瓦が出迎えてくれる。 須坂市の歴史を知ることができる貴重な博物館で、入館料自体もすごく安い。
2021-05-05
32
木の電柱
木の電柱を見つけた。 昭和30年代までの電柱は、木製丸太だったそうだ。 一瞬、目を疑った。けれど、歩いていくと結構な数の木の電柱があった。普段全然、地域を見ていないんだな~と感じた。
2021-05-05
33
上田城 堀の中の自然
上田城の魅力の一つに堀がある。その中を歩いているとたくさんの自然に触れることができる。ふと上を向くと…。きれいな景色がどこでも見れてしまう。 昔通っていた電車の名残も感じながら、歴史ロマンに浸るのもいいのではないだろうか。
2021-05-05
34
美しい清流、長良川
岐阜を流れる三大河川の一つ、長良川。 岐阜城、金華山の近くを流れている一級河川である。 夏には鵜飼や花火大会などのイベントから、市民の生活、憩いの場としても使われている。
2021-05-05
35
岐阜のマチュピチュ、岐阜城
山の頂上にそびえる岐阜城。その姿はまるでマチュピチュを想起させる。大河ドラマ「麒麟がくる」や「織田信長」などで有名だろう
2021-05-05
36
岐阜市民の足、岐阜駅
岐阜駅は岐阜市民なら必ず利用したことのある主要駅である。しかしその歴史が意外と長く、電車に詳しい人なら一度は聞いたことがあるであろう「東海道本線」が、現在も使われている。 その長い歴史を多くの人に知ってほしいため、発信した
2021-05-05
37
薬師如来像と薬師堂
薬師堂とは,薬師如来を本尊とする仏堂の呼び方です。薬師如来とは,病気などに効果がある仏とされています。 この薬師堂は江戸時代後期より存在していたとされており,昭和になり向きを変える移築作業が行われました。その後,平成25年(2013年)に現在の建物が建築されています。 身近なところにとても歴史が深い建築物あり,とても驚きました。
2021-05-04
38
水沢観音
群馬県渋川市にある天台宗の寺院です。1300年あまりの歴史を持ち、高光中将の妻・伊香保姫の御持仏だったと伝えられる本尊「十一面千手観世音菩薩」は安産や子育てにご利益があると言われています。お線香をお供えすれば健康運が、鐘をつけば金運が。県の指定重要文化財にもなっている六角堂は県内屈指のパワースポットとしても呼び声の高い場所です。 毎年初詣に訪れるので今回調べてみました。お参りだけでなく近場で新鮮な野菜や、美味しい食べ歩きができるようなものが売っていたりします。そこで味噌おでんを食べたことがありますが、とても美味しかったです。 また、食べ物では水沢うどんがとても有名です。 写真引用元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%BE%A4%E5%AF%BA https://www.ikaho-kankou.com/wp/wp-content/uploads/2019/02/udon13_thumb.jpg
2021-05-04
39
榛名神社
群馬県高崎市にある神社です。創建は6世紀後半といわれ、1400年を越える歴史を持ちます。主祭神として火の神である「火産霊神(ほむすびのかみ)」と、土の神である「埴山毘売神(はにやまひめのかみ)」を祀り、古くから鎮火、開運、五穀豊穣、商売繁盛のご利益があるといわれています。 一人暮らしや久しぶりの学校で疲れた心を癒やすために訪れました。自然豊かで空気がとても澄んでいて、神社だけでなく不思議な形をした岩や小さいですが滝も有り、自然を楽しむことができると思います。山にあるので運動不足の人には坂がきつく感じると思います。
2021-05-04
40
陣馬塚古墳
陣馬塚古墳は古墳時代後期の円墳です。 染屋台地を見下ろす位置にある陣馬塚古墳の埋葬者は、この台地の開発にかかわった先駆的有力者だったと考えられています。 自然に囲まれ、玄蕃山の高台に位置する様は、埋葬者がいかに力を持っていたかを想像させられます。
2021-05-04
41
東條健代神社
上田市にある東條健代神社は由緒・創建年月とも不明で謎に包まれていましたが、悠然と構える本堂からは歴史を感じさせられました。 また境内には上田市指定樹林の立派なケヤキが立ち並んでおり、自然の力強さも感じられました。 また本殿にある彫刻はとても素晴らしいモノでした。
2021-05-04
42
中塩田小学校 盈進学校・本郷学校跡
現在の上田市立中塩田小学校の敷地内にある盈進学校・本郷学校跡です。盈進学校は1873年に開校し,1886年から本郷学校になりました。 ぱっと見ただけでは学校の歴史がわからない中,思っていたよりも歴史が長いことに驚きました。 【参考】 上田市立中塩田小学校 「中塩田小学校のあゆみ」 (2009) http://www.school.umic.jp/nakashioda/syoukai/cat19/20090730-114954.php
2021-05-04
43
保野の市神
今回の街歩きで初めて発見したが、上田に住んで以来の疑問を解決できる発端になった。保野という地域では、昔に市場が開かれておりその市場ががあった跡である。市神とは市場が安全に開かれるために見守る神様のことである。夏場にこの地域にお神輿があるが、地域の伝統的なお祭りが開かれていることに関連していると思った。
2021-05-03
44
上田警察署保野分署跡
塩田郵便局近くの細い道にある跡である。以前から存じていたが、じっくり見ることはなかったため選んだ。明治時代にこの場所に分署があり、非常に短い期間ではあったものの現在でも跡が残っていることに関心を持った。かなり広い範囲の分署であったことから、地域の住民の方々に密接にかかわっていたのではないかと推測した。
2021-05-03
45
他田塚古墳
古墳が崩れないように石を重ね合わせてつくったとみられるトンネルのようなものを見て、昔の時代にこんなにすごいものをつくることができたことを不思議に思った。
2021-05-03
46
上田城跡公園
上田城とその周辺の石碑・石像、自然。全体的に緑が多く、池などもあったため夏に来ると涼しげだった。歴史的な建物を詳しく知るためというよりかは、観光を楽しむのが適している。歴史を学ぶなら博物館へ行くのが良いだろう。
2021-05-03
47
長福寺
生島足島神社に隣に建つ長福寺は平安時代の康保2年(965)創建で、創基は祐存上人と伝えられています。境内の一隅にある八角円堂は奈良、法隆寺の夢殿を模して、二分の一の縮尺で建てられた美しい御堂で、信州夢殿と呼ばれて親しまれています。
2021-05-03
48
真田神社
真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。おみくじの種類が豊富で、歴史に興味が無く友達や家族と来ても楽しめるだろう。
2021-05-03
49
生島足島神社
生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られている。大きな神社なため、出店があったりする。買い食いしても楽しめるだろう。
2021-05-03
50
長福寺
曹洞宗のお寺。小さなお寺。
2021-05-03
51
超誓寺
浄土教のお寺。小さなお寺。春は桜がきれい。
2021-05-03
52
赤レンガ倉庫
明治33年に建てられた製茶構造の一部である。構造はレンガが主。イギリス積みであり、内部は木造2階建てである。茶産業に関わる建築物として貴重な遺構である。この赤レンガ倉庫は登録有形文化財として登録された。(第22-0194号)静岡県菊川市の街のルーツかつ当時の製茶工場の様式を現在に伝える日本で唯一の産業資産。
2021-05-03
53
[14/09/11]長村役場等の跡、山家神社
向畑遺跡から山家神社へ移動しました。山家神社へは過去にも訪れたことがあり、この時は一時休止しただけです。山家神社の駐車場が長村役場跡です。真田自治会による説明板のおかげで歴史がよくわかります。 2009年(平成21年)までここに旧役場庁舎があったことも驚きです。
長村役場・農協・駐在等の跡
「長村」は明治9年5月大日向・横沢・真田・横尾4か村が合併して誕生した。 当初の役場庁舎は、明治元年の神仏分離令により廃寺となった白山寺の一部があてられていたが、ここに庁舎が新築されたのは明治36年。昭和33年に真田町に合併されるまで、改築を経て村政が執行された。 当時から長村の中心地として役場の他、農協や警察官駐在所などがあった。 旧役場庁舎は平成21年に取り壊された。 平成
2021-05-01
54
[14/09/11]日向畑遺跡と松尾城跡登り口
『真田氏資料集』(上田市立博物館)によると日向畑遺跡が発掘されたのは1971年。それほど昔でないのが意外です。「古くは真田氏の菩提所であったと伝えられる常福寺の跡M」にあたり、「幸隆以前の真田一族の墓地ではないかと考えられている」。 真田氏の古い居館跡とされていることから、日向畑遺跡がその墓所であるとするのは最も順当な推定です。歴史の未知の領域に一歩踏み出したかのようなワクワク感を感じる遺跡でした。 なお、日向畑遺跡は松尾古城の登り口にもなっています。背後の山が古城であるということもさらにそのもっともらしさを後押ししているようです。
2021-05-01
55
[14/09/11]真田氏歴史館
真田氏歴史館が開館したのは1991年ということです。NHKのドラマ『真田太平記』(大河ドラマではありません)が放送されたのが1985年。ドラマで使用された昌幸・信之・幸村の甲冑などが展示されています。 開催中の企画展「大坂冬の陣」を見学しました。戦国武将の中でも人気が高い真田幸村の人気にもかかわらず、幸村所用の甲冑「南蛮銅具足」がそれほど有名でないのはどうしたわけでしょうか。「伝幸村」「幸村所用」とされる遺産はいくつかありますが、この甲冑もその一つです。
2021-05-01
56
[14/09/11]真田町を進む、途中駅前食堂
旧真田町に入って間もなく「駅前食堂」が右手に見えてきます。この店名が面白い。かつて鉄道・真田傍陽線が通っていたときにここに駅があったことに由来しています。隠れスポットとして知っておくと訪れたときに楽しいです。ただしこの時は通過しました。 最初に向かった先は真田氏歴史館です。
2021-05-01
57
上田招魂社
この上田招魂社は戊辰戦役従軍の戦死者をはじめ日清日露の戦争を経て今次の大東亜戦争に至る間国家の為尊き命を捧げられた人々の英霊をまつる御社。 真田神社の近くにあるため、向かった際にも足を延ばしてみてはどうでしょう。
2021-04-25
58
真田神社
上田城本丸跡に鎮座するこの真田神社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。 しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平神社と称していました。 神社の近くには、実際に昔使われていた井戸や巨大な兜、真田幸村の像などがあります。 個人的には、神社前の門や兜が記憶に強く残っています。
2021-04-25
59
長福寺
1625年に金蓮寺覚裕が土生町にあった長源寺の堂舎を移転し、長福寺と改め開山された場所です。 長福寺には「お参りして下さった皆様がみんな仲良く笑顔で暮らせますように」という意味を持つ「なかよし地蔵」があり、とても可愛らしいものでした。 生島足島神社のすぐ近くにあり、向かった際に立ち寄ってみてはどうでしょうか。
2021-04-25
60
塩尻村大字上塩尻字信福寺/宮田全図(地籍図[旧公図])
小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第六番字真福寺 第七番字宮田 全図 (上田市税務課所蔵) 塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字信福寺(しんぷくじ)/宮田(みやた)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。 字信福寺、字宮田は区画が小さいことから合体した全図となっている。藤本蚕業歴史館から南に150mほど下った辺りの区画である。かつては水田であったが、現在は宅地化している。 なお、「上田市文化財マップ」に字信福寺にあった「
上塩尻板碑
」の解説がある。 地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。
2021-03-22
61
上田築城三百五十年祭記念写真帳(1932/昭和7年)
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上田築城三百五十年祭記念写真帳(1932/昭和7年)
109頁/21MB
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109ファイル/25MB
▼上田市公文書館資料情報 写真アルバム・上田築城三百五十年祭記念写真帳ほか しゃしんあるばむ・うえだちくじょうさんびゃくごじゅうねんきねんしゃし
2021-03-07
62
上田町会議案綴(1902/明治35年 上田町)
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上田町会議案綴(1902/明治35年 上田町)
528頁/114MB
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528ファイル/126MB
▼上田市公文書館資料情報 上田町会議案綴 うえだちょうかいぎあんつづり 請求番号 01-M35-01-1356 文書の種類 旧役場文書 地域 上田町 作成年度(和暦) 明治35年
2021-03-07
63
在外資産補償関係(1955/昭和30年 殿城村)
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在外資産補償関係(1955/昭和30年 殿城村)
414頁/88MB
全頁JPEG画像[長辺1280ピクセル] ZIP形式で圧縮
414ファイル/103MB
▼上田市公文書館資料情報 在外資産補償関係 ざいがいしさんほしょうかんけい 請求番号 01-S30-01-6977 文書の種類 旧役場文書 地域 殿城村 作成年度(和暦) 昭和3
2021-03-07
64
上田市参事会綴(1919/大正8年上田市)
下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
上田市参事会綴(1919/大正8年上田市)
337頁/81MB
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337ファイル/92MB
▼上田市公文書館資料情報 上田市参事会綴 うえだしさんじかいつづり 請求番号 01-T08-01-1397 文書の種類 旧役場文書 地域 上田市 作成年度(和暦) 大正8年 作成年度
2021-03-07
65
長野県の明治初期の村絵図
長野県立歴史館のサイトhttps://www.npmh.net/ezu/ で明治初期の村絵図が公開されています。 古い地図と現在の地図を比べてみるとこれまでの変化がわかり面白いです。 小諸市 https://www.npmh.net/ezu/?keyword=&area%5B0%5D=%E6%9D%B1%E4%BF%A1&city%5B0%5D=25&n=18&submit=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&p=1#result 現小諸市・東御市 滋野村 https://www.npmh.net/ezu/2020/02/id-151.php 現小諸市・御代田町 塩野村 https://www.npmh.net/ezu/2020/02/id-93.php
2021-03-02
66
上田市 手塚地区について
手塚(てづか)は上田市の西塩田に位置する地区である。付近には独鈷山があり、ため池も多く、別所温泉も近い。 手塚の地名の由来は、伝承によると、奈良時代に塩焼王が反乱を起こして当地に流罪となったが、再び勢力を挙げて反乱を企てたため、最終的に坂上田村麻呂によって討伐され、その塩焼王の怨霊を恐れた当地の人々によって両手を埋葬された事に由来するとされる。なお、この塩焼王の両手を埋葬した場所が、現在も「王子塚古墳」として残っている。 平安時代にはこの地より手塚氏が出て、手塚光盛が源義仲の家臣として活躍した。後に、この手塚氏からは江戸時代に水戸藩に仕えた手塚良仙光照という蘭方医 がおり、さらに、日本漫画界の巨匠である手塚治虫もこの手塚氏の系統だとされる。 手塚の地名の由来にこれほど偉大な歴
2021-02-27
67
私の探究計画:南牧村の歴史と満蒙開拓
なぜ、どのように、南牧村は、国策の「満蒙開拓」に村として、「抵抗」したのか。 村の歴史を学び、伝え、記録する活動の一つとして、探究する。
2021-02-27
68
地域学講座④みんなで地域探求ネット展示披露会
左:「みんなで地域探求ネット展示披露会」(前川道博) 右:「著作権と資料の権利処理」(久世均)
第4回 2月27日(土) みんなで地域探求ネット展示披露会 13:30 本日の説明 13:35 ミニ講義:著作権と資料の権利処理 14:05 受講者のキュレーション成果披露・講評Q&A 15:00 (休憩) 15:10 成果披露・講評Q&A(続き) 15:40 認定資格デジタルアーカイブ・クリエイター について 15:50 まとめ講評、これからに向けて 16:30 終了 <講師> 久世均さん(岐阜女子大学教授) ミニ講義「著作権と資料の権利処理」 小平千文さん(上田小県近現代史研究会会長) 成果披露の助言・講評 <みなさんの地域探求ネット展示> ★buchiさん
南牧村の歴史と満蒙開拓
★オリサさん
2021-02-27
69
上田松本間に計画された鉄道(丸子経由案)
丸子町誌歴史編下巻の217ページに記載されている図である。 丸子町誌には詳しいことは書かれていなかったが、図から考えると、丸子線の丸子町駅から延伸し、国道254号や県道185号などに沿うような形で建設される計画だったのではないかと考えられる。 この図がいつ頃書かれたものなのかは記載を確認できなかったが、浅間温泉~松本間の松本電気鉄道浅間線が描かれていないことを考えると1964年から1969年の丸子線廃止までの間に書かれたものなのではないかと考えた。これについては今後問い合わせるなどしたいと思う。 また、次のページには、「丸子町から和田もしくは大門の峰を越えて諏訪地方に入り、中央本線と連絡する構想」があったともされている。
2021-02-27
70
探求計画
探求テーマ:上田と音楽の繋がり 探求のねらい:普段、音楽の歴史というものは深く意識されておらず、しっかりとした調査などがされていなかったりするので、それを様々な人と共有できれば良いと考えている。 探求の計画:塩尻時報などを見て、音楽の記事を見つけ、それを他の人に伝える。 参照予定の資料:塩尻時報 (写真は特に関係ありません。)
2021-02-20
71
議事書類綴(1919/大正8年 別所村)
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大正八年度議事書類綴(1919/別所村役場)
283頁/62MB
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283ファイル/235MB
▼上田市公文書館資料情報 議事書類綴 ぎじしょるいつづり 請求番号 01-T08-01-13389 文書の種類 旧役場文書 地域 別所村 作成年度(和暦) 大正8年 作成年度(西暦) 19
2021-02-12
72
村会決議書(1919/大正8年 泉田村)
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村会書類(1919/大正8年 泉田村)
83頁/17MB
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▼上田市公文書館資料情報 村会決議書 そんかいけつぎしょ 請求番号 01-T08-01-1221 文書の種類 旧役場文書 地域 泉田村 作成年度(和暦) 大正8年 作成年度(西暦) 1919 作
2021-02-12
73
村会書類(1917/大正6年 泉田村)
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村会書類(1917/大正6年 泉田村役場)
172頁/40MB
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▼上田市公文書館資料情報 村会書類 そんかいしょるい 請求番号 01-T06-01-1216 文書の種類 旧役場文書 地域
2021-02-12
74
鉄道 道路 河川 橋梁(1898/明治31年 城下村)
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鉄道 道路 河川 橋梁(1898/明治31年 城下村)
56頁/14MB
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▼上田市公文書館資料情報 鉄道 道路
2021-02-12
75
別所線路ニ関スル書綴(1893/明治26年 川辺村)
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別所線路ニ関スル書綴(明治26年/川辺村)
246頁/62MB
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▼上田市公文書館資料情報 別所線路ニ関スル書綴 べっしょせんろにかんするしょつづり 請求番
2021-02-12
76
蚕都上田の蚕の歴史②
この資料には、蚕都上田がどのような歴史をたどってきたのかが、横書きの年表で見れるようになっている。 色の使い分けや画像を豊富に使ってまとめられている。 この資料によって、蚕に関わるどのような製品がどの村でつくられるようになったのかわかるようになっている。 ▼参照した記事
『蚕都上田年表』
2021-02-10
77
蚕都上田の蚕の歴史①
この資料には、蚕がどのようなものなのか、蚕都上田の「蚕都」の由来、生糸と上田の歴史について多くのことが書かれている。 特に、生糸輸出について上田が日本初であることや、どのようないきさつで生糸の輸出が発展していったのかが詳しく分かる。 ▼参照した記事
『週刊上田』「蚕都上田」の輝きと未来
2021-02-10
78
上田と沼田の歴史観の違い まとめ
調べた内容のPPでのまとめ
2021-02-10
79
富士市の製紙業について
富士市の製紙業を私の地域探究の対象にした理由は、自分の地元である富士市のことを、この機会によく知ろうと思ったためです。地場産業である製紙業を調べることで富士市の歴史も同時に学べると思ったためこのテーマにしました。 主に富士市役所のホームページを参照しながら課題を作成しました。
2021-02-10
80
中村屋
肉うどんで有名なお店「中村屋」 こちらは創業100年以上の歴史を持つお店です。 歴史ある味が楽しめる貴重なお店です。
2021-02-09
81
海野宿と海野町商店街の共通点
海野宿と海野町商店街について調べて、以下の共通点があることがわかった。 まず、真田昌幸が海野郷の豪族の海野氏の子孫だったことから、海野町商店街は海野郷にいた住民によって作られた。そのため、海野宿と海野町商店街は海野氏という豪族に関係があることがわかった。 また、海野宿の横に位置する白鳥神社にあった霊力がある石を、真田昌幸が築城する際に海野町商店街の高市神社に祀ったことがわかった。そのため、高市神社と白鳥神社には、ありがたい石でつながっているという関係があることがわかった。
2021-02-09
82
活動報告
2020年度最終成果。上田市上塩尻地域の歴史を学習した。
2021-02-06
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20年度ゼミ活動
私の本年度の主な取り組みは、昨年度に行なわれた上田市の西部地域まちづくりの会の方々と地域の魅力を再発見とともに地元の知らなかった歴史を探求するフィールドワーク「まちあるき」の動画制作(西部地域デジタルマップサイトへ投稿)です。 動画作成の目的は、住民の方々に向けた地域への興味関心を持つ架け橋の一つとなることです。コンテンツの形態は多岐にわたりますが、現在はわかりやすさや影響力、手軽に利用できるものとして動画が効果的であると考えたからです。 現在、西部地域の住民自治の方々は、部会員の方々一人一人が地域に関して発見した書物、地域の歴史的スポットを写真で撮影してデジタルコモンズで情報共有を行っています。このような能動的に地域に関わる意識が特定の人たちではなく、住民全体に広がるこ
2021-02-02
84
長野県にはどうして美術館多いの?
長野県には美術館が多いとよく聞きます。実際どのくらい美術館があるのか、どうして美術館が多いのかを調べてみました。 〈美術館の数〉 全国の美術館数は1,064館で、人口10万人あたり0.84館です。美術館数が最も多いのは長野県で人口10万人あたり5.24館(偏差値96.1)と全国平均の6.3倍。総数ベースで見ても長野県の110館は全国最多で、日本の美術館の約10%が長野県に集中しています。 〈どうして美術館が多いのか〉 ◆振興策 戦前、長野県が教育県と謳われた時代の名残からか、現在でも芸術・文化の振興に関しては精力的です。県民の意識調査でも、学力実態に伴って教育県としての自覚が削がれている一方で、芸術・文化面での関心は高いです。そのため、内部からの需要が高いです。 ◆避暑地 長野県は全国の中でも比較的乾燥した中央高地式
2021-01-31
85
海野町史-海野町の誕生
海野町は、真田安房守昌幸が先祖の地である海野郷から住人を移住させて、街並みをつくらせたのが起源である。また、三年遅れて、原の郷から招致したのが原町である。この海野町と原町を上田城下の元町という。海野町と原町は、真田・仙台・松平時代から明治・大正・昭和まで上田の中心枢要な位置にあり、共に商業経済の発展に貢献している。 海野町へ移住して来た人々は、海野郷大平寺村の住人で、氏神様の深海神社の祠(ほこら)だけを残し、全村挙って五十八家族が移住した。その人々は、思い思いに農村風の家を作り、大方南側に向き、従来に出入り口のない家や瓦をのせず床もない素朴な家に住んでいたという歴史が残っている。(海野町史第1章より)
2021-01-31
86
西部地域に関する資料
西部地域を知るにあたって、写真のような西部地域に属する自治会の資料を図書館などで見つけ、情報収集を行いました。 自治会によっては資料がないところもありましたが、資料があった自治会については、歴史や成り立ちについて知ることができ、改めて西部地域は長い歴史のある地域であることが分かりました。
2021-01-30
87
私の地域探求テーマ一覧(情報通信文化論2020)
長野大学の講義科目「情報通信文化論2020」(講義担当:前川道博)では、情報通信文化の根幹をなす文化伝承・知識伝承を概念的に学ぶだけではなく、受講生たちに自ら文化伝承・知識伝承による「キュレーション型」の学びを実践してもらいました。地域循環型社会にシフトしつつ現代においては、自ら問いを立て、一次資料に当たったり、地域に赴いて自ら得たデータを新たな一次資料とし、主体的に探求していくことが求められます。その学習プロセスが文化伝承・知識伝承に他なりません。 それらの課題探求テーマと成果を以下のマイサイトからカテゴリ「私の地域探求」を選んで御参照ください。 <私の地域探求テーマ一覧> 1
舌喰池の名前の由来(LGTMのサイト)
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2021-01-28
88
上田市シティプロモーション 旅RUN
上田市のシティプロモーション活動として様々な動画が投稿されている中の1つ「旅RUN」。 上田市の資源である、歴史ある建造物、自然豊かな道なり、レトロな街並み、東京から新幹線で一時間半という立地を生かし、「ランニング」に繋げている。 ただ走るというだけでなく、その中で休憩として、建造物の観光や食事に立ち寄っていて、自然な地域の雰囲気が見れる。 ▼上田市PR動画「旅RUN」
2021-01-27
89
海野宿の起源
海野宿は、1625年(寛永2年)に馬で荷物や人を運ぶことを主な仕事とする、田中宿を助ける宿として作られたとされている。しかし、1742年(寛保2年)の大洪水、戌の満水で、田中宿に大きな被害が出てからは、田中宿より被害の少なかった海野宿が本宿になった。 海野宿のある地は豪族の海野氏の本拠地であった。現在の白鳥団地に海野氏の居館があった。 参考資料 「東部町誌歴史編上」東部町誌編纂委員会 「東部町誌歴史編上」東部町誌編纂委員会
2021-01-27
90
海野町商店街の起源
海野町商店街の始まりには、真田幸村の父の真田昌幸が関係している。真田昌幸は現在東御市本海野の海野宿がある地にあった、海野郷の豪族、海野氏の子孫だった。真田昌幸は1583年(天正11年)に上田の千曲川の支流にあった尼ヶ渕という地名の場所に城を築くときに、海野郷大平寺村にいた住民に町を作らせた。これが、海野町商店街の起源である。 参考資料 「海野町史」中澤好冨 「海野町商店街の歴史」 ナガブロ URL「
http://unnomachi.naganoblog.jp/e1286383.html
」
2021-01-27
91
現在の海野町商店街(2021年)
2021年1月27日に撮影した海野町商店街の写真である。 海野町商店街がある場所は海野町通りとも呼ばれている。 また、お茶所喜光堂という看板が見える。喜光堂は1882年から操業している、歴史のある店である。 喜光堂の少し先には高市神社がある。 昔(1913年)の喜光堂 URL「
http://www.d-commons.net/uedagaku/detail.php?id=3875
」 海野町通り(1913年) りらっくすさんのサイト みんなで作る信州上田デジタルマップ
2021-01-27
92
岡谷蚕糸博物館(2)
(岡谷蚕糸博物館(1)の続き) 2つ目のコーナーでは、江戸時代から昭和期までの製糸機械類が年代順に展示されていた。様々な製糸機械類が一堂に展示されており圧巻だった。 3つ目のコーナーには、先人が残した経営資料などが展示されており、かつて「糸都」と呼ばれた岡谷の歴史を辿ることができる。館内では音声ガイドを無料で借りることができ、展示を見るだけでなく、同時に解説を聞くことで岡谷の製糸業についてより深く理解することができるためおすすめだ。 最後に体験コーナーという場所もあり、実際に繰糸機に触れることができる。私が訪れたときには、子供達が楽しそうに繰糸機に触れており微笑ましかった。 参考URL:
施設のご案内|岡谷蚕糸博物館
2021-01-27
93
沼田公園パンフレット
説明 沼田公園のポイント及び歴史の詳細について書かれているパンフレット。真田氏や沼田氏の歴史を概要として知ることができる。 用法 上田城パンフレットとの比較化 掲載されている年代の調査
2021-01-27
94
上田駅周辺の変化
今回中心として見ていく上田駅は、1888年(明治21年)に官設鉄道の長野駅-上田駅間の開業に伴い、終着駅として開業した。 いままで様々な線の始発駅や途中駅、終着駅として昔から現在まで活躍している。 上記の画像は2021年(令和3年) 1月26日にGoogle Mapで上田駅周辺を見た状況となっている。現在どのようになっているのかが分かる。 今回発見した1922年(大正11年)の上田市全図では、市役所や小学校・中学校などの主要な建物が上田駅周辺に集まっていることが資料から分かった。 また、上田駅が上田停車場と記載されている。この上田停車場という言葉で調べてみると、上田駅お城口を出てすぐの長野県道162号上田停車場線が出てきて、日本一短い県道とされているという情報を知ることができた。 次に発見した1928年(昭和3年)の大日本職業別明細図
2021-01-27
95
ハート形土偶
【作品】 ハート形土偶 【所在地】 群馬県高崎市 【作品説明】 大きさは約30㎝、ハート形をした顔が特徴的である。この形の土偶が発掘されたのがこの土偶が全国初で、それ以降は各地で発見されているようだ。ハート形の部分は顔なのか仮面なのかは不明だが、女性像であるといわれており、様々な曲線は妊娠線・産道を表現していると考えられている。歴史的にも芸術的にも評価され、1965年に重要文化財に指定された。 【参考資料】 ・東京国立博物館:https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=4512 ・My rock town 東吾妻:https://myrocktown.com/event/148
2021-01-27
96
三角縁同向式神獣鏡
【作品】 三角縁同向式神獣鏡 【所在地】 群馬県高崎市:蟹沢古墳 【蟹沢古墳】 別名柴崎古墳と呼ばれる円墳である。この古墳からは本遺品以外にも一緒に銅鏡四面、鉄斧二箇、鉄釶一本、刀剣類・土師器残欠九箇が発掘されている。 【作品説明】 誰もが1度は見た事があるかもしれないが三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡と呼ばれているものである(実際鏡として利用されていたかについては議論を読んでいるが)。「魏志倭人伝」にある魏の皇帝が倭の女王卑弥呼に与えた「銅鏡百枚」ではないかという説もある。ちなみに三角縁神獣は蟹沢古墳以外にも県外の多くの古墳から出土しているが、中国からの出土は今のところない。 【参考資料】 ・東京国立博物館:https://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=5307 ・e国宝:https://emuseum.nich.go.jp/d
2021-01-27
97
焼町土器
群馬県渋川市にある道訓前古墳から出土した焼町土器である。 道訓前遺跡は縄文時代中期中葉から後葉にかけての大規模な環状集落である。この遺跡から出土した品々の多くが国の重要文化財に指定され、その数は165点である。 道訓前遺跡から出土した焼町土器を始め多くの土器が重要文化財に指定された理由としては、群馬県西部から長野県東部にかけて比較的限定された地域に見られる独特な文様の「焼町土器」の他にも赤城山麓を中心に分布する個性豊かな「三原田式土器」、それが変容した形である南関東の「加曽利E1式土器」「加曽利E2式」期と様々な形態なものが存在し、それらは新潟県や長野県・南関東、北関東の他地域との文化交流の様子や、赤城山麓独自の地域文化の芽生えを示していると判断されたからである。 【参考資料】 ・
2021-01-27
98
銅水瓶
【作品】 銅水瓶 【所在地】 群馬県高崎市:綿貫観音山古墳 【綿貫観音山古墳】 全長98mの前方後円墳である。6世紀頃の古墳で高崎を支配した豪族の古墳と考えられているが、正確な情報は不明である。ここからは他にも多くの金銅製品等が出土しており、それらは6世紀後半の東国を代表する出土品として国宝に指定されている。 【作品説明】 中国・南北朝時代の庫狄廻洛墓から同類の水瓶が発見さたことから中国伝来と考えられている。ちなみに綿貫観音山古墳から出土したものは国内最古の水瓶で、古墳出土でほぼ完形品であるのは世界でこれだけである。 【参考資料】 ・群馬県 文化財ライブラリィ:https://www.pref.gunma.jp/03/x0100616.html ・綿貫観音山古墳の世界「オンライン展示品解説 第1回 銅水瓶」:
2021-01-27
99
上田紬 伝統の技
この動画は「上田市マルチメディア情報/上田紬 伝統の技に歴史の風合いが息づく」
この動画では以下のことについて知ることができた。 ・上田紬の伝統的なつくり方。 ・昔は手つむぎという手法で糸を紡いでいたこと。 ・柄を計算する縞割りという技法。 その他にも上田紬ができる工程を細かく説明されているため、ぜひ動画を確認してほしい。 昔の人がどれだけこだわりを持って作っていたのか知ることができた。
2021-01-26
100
だるまとつながりのある群馬県の主なお祭り
高崎だるまの歴史についてまとめた前編はこちらから↓
高崎だるま
①前橋初市まつり 毎年1月9日に国道50号の本町二丁目で行われるお祭りで、前橋では三大祭りの一つとして有名である。別名「だるま市」と呼ばれ、その名の通りたくさんのだるまが売られている。50号沿いだけでなく、すぐ近くの中央通りアーケード(前橋の商店街)でも屋台の出店やイベントが開催されるので非常に賑やかである。 1番の名物は古いだるまを供養して燃やす「お焚き上げ」で、当日はお昼ごろまで多くのだるまと、火と煙を見ることができる。市民の間で、この行為を「どんど焼き(どんと焼き)」と呼ぶことが多い。群馬県では、新年になると各地でこのどんど焼きが行われる。 ②高崎だるま市 毎年1月1日から2
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歴史(2)
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